教育改革を機に見直そう”ソロバン”の効用<日本商工会議所・日本珠算連盟>日時:2001年1月23日(火)14:00〜15:30 場所:東商ビル2階「副会頭応接室」
|
子供のうちに身につけないと一生獲得できないものがある。1980年代の学習指導要領改訂にはじまったわが国の”ゆとり教育”は、日本の小・中学校の算数の時間を、先進国の中でも大幅に削減することとなり、中学生の数学の授業時間に至っては、先進国で最も少なくなっている。こうした中で、日本人の計算能力の大幅な低下が危機感をもって語られている。2002年から施行される新学習指導要領では、数学と理科の総授業時間数は、米国の半分、オーストリアの4割程度にまで少なくなる。かって驚異の目をもって見られていた日本人の卓越した計算能力が、現在その位置は、中国や韓国に取って変わられている。 今回、日本商工会議所と日本珠算連盟が共催で、教育改革の流れの中で、児童の計算・暗算能力の育成に大きな効用がある”そろばん教育”をテーマに座談会を開催した。 |
|
|
上野健爾・京都大学教授 藤本トモエ・トモエ算盤株式会社社長 八文字敏宏・日本珠算連盟副会長 篠原 徹・日本商工会議所常務理事(司会)
|
|

篠原・日商常務理事
|
篠原(司会) 本日は、ご多忙の中ご出席いただき、誠に有難うございました。昨今、「読み、書き、ソロバン(計算)」という、子供たちの基礎学力が大幅に低下している状況の中で、"教育改革"が政府の重要課題になっています。IT革命の急速な進展や少子化など環境変化による大きな影響もあり、珠算教育に対する見方も、期待も大きく変わってきています。従来の職業能力としての計算力の育成という役割から、子供たちの計算能力あるいは算数・数学の基礎教育にその軸足を移してきています。珠算教育には、数の概念とか算数・数学の基礎を培う素晴らしい面があると思っている一方で、伝統的な古い計算ツールであるというイメージから、なかなか脱却できていない、あるいは世間に対するPRあるいは理解度がまだまだ進んでいないということで、時代の波に乗り切れていないのが現状ではないかと思います。そこで本日は、教育改革あるいはこれからの算数教育・数学教育を通じて、計算能力をどう高めるかという時代の流れの中で、今後、珠算界がどのように関わりを持ち、世間からの再評価をどのように得ていったらよいのか。さらには、私ども商工会議所が現在実施している珠算検定も、こういった時代の流れに沿って、どのように変えていくべきなのか、幅広い観点からご意見をいただきたいと思います。初めに、伝統文化としてのソロバン、また計算基礎教育の一環としてのソロバンと、両面から見て、今後、どのように発展的に継承していくかという点についてご意見を伺いっていきたいと思います。 |
|
|
|
|
伝統文化・計算基礎教育の両面から再評価 |

上野・京大教授
|
上野 世間一般の常識として、ソロバンを単なる計算の道具としてしか見なかったために、電卓あるいはコンピュータの出現で、ソロバン離れが加速されていったと思うのです。これからは、ソロバンが持っている別の側面を見ながら進めていかなければならない。電卓で何が問題になるかと考えると、その裏返しとしてソロバンの効用が見えてきます。電卓を使って計算すると、確かに答えは出てくるが、その仕組みが全く目に見えない。すべてがブラックボックスになっている。ところが、ソロバンでは、計算の仕組みを目に見える形でやりながら計算ができる。ソロバンや筆算をやらないと、本当の意味での数の把握能力が身につきません。最近よく聞くのですが、学生が電卓を使って計算する時に、電卓が例えば8桁しかないので、「先生、これ計算できません」という学生がすごく増えてきている。計算の仕組みがわかっていれば、8桁しか使えない電卓を使っても、何十桁の計算でもできるわけです。そういう意味で、もう一度ソロバンを、単に計算の道具としてではなく、計算の仕組みと数値の概念を理解するためのツールとして見直す必要があります。 |
|
八文字 一般的に珠算関係者は、ソロバンの構造や珠算の算法などについて、"今がベストだ"という既成概念を強く持っていますが、本当に、"現在の珠算教育について、その指導方法などがベストなのか?"ということです。今の時代にあった別の姿があるのではないか。確かに、戦後のわが国の経済復興と発展は、ソロバン学習で磨かれた当時の日本人の計数感覚と計算能力があったからだと、胸を張って言えますが、最近では、分数のできない大学生まで出てきているという現実の中で、計算の基礎である掛け算や九九を身に付けさせるための教育を、どのようにやっていくのかということが社会的課題になっています。ある新聞に、小学1年生で学級崩壊があるという記事が掲載されていました。幼稚園において、子供たちに自由に好きなことをやらせるという風潮が広がっているようですが、子供たちが自由に発想することと自分勝手に行動することを混同し、小学校へ入学しても先生の説明を聞かないし、勝手に教室を歩き回るということになる。こういうことは、ソロバン塾ではありません。そんなことをしていたら、ソロバンの練習なんてできません。学校教育においても、先生方には、子供達はまだ人間が完成されていないということをもっと認識していただいて、きちんと指導してあげる姿勢が大切ではないでしょうか。 |

八文字・日珠連副会長
|
篠原 最近、インドがIT革命の中で、非常に大きく産業を伸ばし、また人材も世界中に供給するような大国になりつつあります。その背景を聞いてみると、インドでは、伝統的に数学や算数が国民教育の中で非常に大きなウエイトを占めているそうです。これからの日本も、グローバル経済競争の中で勝ち残っていくためには、数学・算数の基礎教育の充実をおろそかにできないし、国づくりもできません。
上野 日本の経済的な繁栄や科学技術の大きな発展の基礎も、実は江戸時代の「読み、書き、ソロバン」の文化を土台にしていると思います。和算がもの凄く発達していた江戸時代には、「読み、書き、ソロバン」の文化によって識字率や計算能力が、おそらく世界で一番高かったのではないかと言われています。この点を押さえてわが国の教育を考えないと、これからのIT時代に、大きく遅れを取る危険性があります。自分の頭で、数値に基づいた計算や分析ができなかったら、いろいろな場面で判断を誤るわけです。現実に、東海村のあの臨界事故などはまさにそうです。5%未満のウラン濃縮液と20%近くのウラン濃縮液の違いに気づかず、とんでもない大事故が起こってしまったわけです。 近代の科学技術文明は、あらゆるものを数値化して、それに基づいて判断するようになっている。そうなると、人間には、今まで以上に数に関する把握能力や計算能力が要求されてくることになる。そのためには、私たちは、常に新しい教育の仕方なりを開発していかなければいけない。大切なのは、今まで使ってきた伝統はきちんと評価しながら、そこで本当に大事なものは残して、改良すべきものはきちんと改良していかなければならないという事です。 |
|
幼児・児童教育における新しい活用 |
|
篠原 珠算教育は、集中力、発想力、記憶力、洞察力、情報処理能力、速聴・速読力等の能力開発に役立つと考えられています。最近、いろいろな研究が進んできており、珠算教育が右脳開発に役立つという研究結果も出ています。

藤本・トモエ算盤社長
|
藤本 確かに、左脳より右脳が開発されていった方がいいという考え方もありますが、一方では、脳というのは、バランスを持って初めてその働きをするのではないかという考え方もあります。私は、一概に右脳が云々ということではないと思っています。ソロバンの習得には、非常に時間がかかります。それがソロバンの長所でもあり、欠点でもありますが、いまの教育では、1つのことに時間をかけるということを、非常に軽んじているように感じます。小さい子供たちであればあるほど、道具を使うことは楽しい。だから、子供たちが、非常に抽象的な数というものを、ソロバンという半抽象的な珠で表すということを、幼児のときからやっていれば、自然と数に強い子供が出来てくると思います。アメリカンスクールの子供たちが、初めてソロバンを見たときに、これは音楽の楽器かと聞いたという話があるのですが、子供は道具を使って何かを勉強するということに楽しさを感じています。そういう楽しさを追求する工夫が、これからの珠算教育には必要ではないでしょうか。 |
篠原 これからの珠算教育は、楽しみながら子供の基礎教育に役立てるという観点から、珠算塾なり珠算教育も方向を切り換えていかなければいけないと思います。そういう過程の中で、結果として珠算人口も増えてくると思います。
八文字 これまでの珠算塾は、その多くが検定試験を中心にやってきたために、子供達や親達にとって、ある意味で、無味感想な印象を与えてきた一面もあります。これは珠算界がやはり反省すべき大きな点だと思うのです。珠算界の将来を考えたとき、目先のことだけでなく、数年先を見据えた見直しを行っていかなければなりません。親達は、何を期待して子供を塾に通わせているかというと、ソロバンをやれば計算に強くなるだろう、最終的には算数の成績が良くだろうと期待しているのです。検定試験も、そういう点を踏まえた見直しを実現したいと考えています。
篠原 昨年来、日本政府も教育改革ということで、いろいろな議論を行っています。日本商工会議所も、全国各地の商工会議所の会頭さん、副会頭さんクラスを対象にアンケート調査を実施して、産業界からみて今の教育の何が問題か、あるいは将来どうしたらよいかという点について、いろいろご回答いただいています。結論として、文部省の「新学習指導要領」の"創造力を豊かに、個性を伸ばす"という方向は間違いないが、その前に、「読み、書き、ソロバン(計算)」の基礎教育をおろそかにして、個性を伸ばす、創造力を豊かにするという発想では、日本はダメになるという意見です。
上野 商工会議所のアンケート調査で集約された意見の通りだと思います。現実に、京都大学の理学部で実験をやった時に、例えば、数値の計算をしなければいけないとすると、2桁ぐらいの簡単な計算をする時に、私たちの世代なら暗算でできる程度の計算も、今の学生は出来なくなっている。子供のうちからソロバンを使うことによって、そういう力を養うことはもちろんできる。ただ、その場合でも、一番問題なのは、社会に関係するとか、何か子供たちの身近なところに関係した題材をもとにして、そういう学習をするような形に持っていかないといけない。江戸時代に『塵劫記』という素晴らしい数学の教科書がありました。これを読んで、非常におもしろいと感じるのは、生活に、本当に必要な数学について書いてあるということです。それとともに遊びがある。例えば「 999カ所に 999羽のカラスがいて 999回鳴いた。全部で何回鳴きましたか」という問題がある。999×999 ×999 でよいのですけれど、それを単純に計算するのではなくて、ちょっと工夫したら、実はこれは引き算だけでほとんどできるのです。こういう感覚の教育を、教育界全体としても、又珠算界としても考えていかなければならないと思います。 |
|
数は、ユニバーサルな言語 |
|
篠原 欧米でもソロバンの愛好者が相当います。タイとかトンガ等途上国では、義務教育の中にも取り入れられてきています。ソロバンの国際的な広がり、あるいは国際協力という観点からご意見をいただきたい。
藤本 数というのは、どこに行っても通じるユニバーサルな言葉です。ソロバンで民間の国際交流ができるというのも、そうした特性があるからです。昨年12月に、マレーシアで開かれた環太平洋ソロバン大会というものを見学してきましたが、いまマレーシアでは、公立私立を問わず義務教育として、珠算教育が行われているのです。この大会には、インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、台湾、遠くはカナダからも来ていました。それらの国々はほとんど義務教育の中にソロバンが取り入れられています。一方、アメリカや英国では、ソロバンが算数教育の基礎として使われているという部分があります。このように、海外でもソロバンは、非常に注目を浴びています。
篠原 藤本さんは、ソロバンというハードの道具としての商品を供給されているかたわら、会社のホームページの中に開設している"ソロバン博物館"で、過去の歴史・文化・伝統も含めて情報発信し、あるいはそろばん文化の国際的なPRもいろいろやっておられる。
藤本 ソロバンを通じて、私たちは何を伝えられるのか、ということを考えなければいけないと思っています。私どもはソロバンをつくるメーカーですが、例えば、1つのソロバンを親子代々使っていくというような中で「物を大切にしましょう」というメッセージも、子供達に伝えられるのではないかと思います。また、ソロバンには読み上げ算がありますが、読み上げ算をする時には、先生が声を上げたものを子供は必死で聴かなくては指が動きません。その時に、やはり先生の声を集中して聴くという訓練をしながら、教育の根幹である人の話を聴くというようなことも出来てくるわけです。算数や数学の学習具として、ソロバンが優れているということはもちろんですが、ソロバンの文化的な意義と役割を、日本の子供たちや海外に広く伝えていく事も、私どもソロバンメーカーの使命であると考えています。 |
|
新しい珠算教育の実現目指して |
|
篠原 上野先生には、昨年の夏、日本商工会議所の「珠算教育のあり方に関する特別委員会」の座長として、提言「21世紀における"そろばん"を考える」をおまとめいただきました。その際、珠算についても、その効用や算数教育・数学教育の中での位置づけも含めて、学問的に研究開発する必要があるというご提言をまとめていただきました。
上野 学術研究のための組織は是非ともつくらなければいけないと思いますが、学会のあるなしに拘わらず、やはり珠算教育のあり方に関して、新しく研究をしなければいけないと感じています。ソロバンをやることによってどんな力がついてくるのかということに関しても、きちんと分析して、みんなに知らせる必要があるのではないかと思います。珠算検定については、これからも何らかの形で活かしていただきたい。検定を受ける主体が、小学生中心になっているということは、検定自体も、それに合わせた形で変えていく必要があることを意味しています。おそらく、これからのソロバンの進むべき道は、珠算教育によって身につく暗算能力が主役になっていくのではないかと思います。
藤本 珠算検定は、もはや資格試験ではありません。履歴書に「珠算○級」と書いても採用の重要なファクターにはならないことはご承知のとおりです。そうなると、検定制度も、やはり変わっていかざるを得ないわけです。初めに珠算検定ありきの珠算塾は、もはや本末転倒であって、生徒達の日頃の努力を検定試験で確認するというような方向に直していく必要があります。
八文字 現実的な問題として、日本珠算連盟では、いま珠算検定の改革に取り組んでいるところですが、長い歴史をもつ珠算検定だけに、時代変化の中で珠算検定も変わるべきだと頭では理解できていても、各論になるとどうしても現状維持に近い保守的な意見が強くなってきます。将来に亘って珠算教育の灯を消さない、珠算教育を継承していくために、どうしたら良いのか。すべての珠算人が、珠算界を取り巻く厳しい環境変化から目をそらさず正視し、これからの時代の新しい珠算教育の実現に向けて前向きに考えていただきたいと思っています。それから、時代の要請は、暗算にあります。暗算教育の再生も是非図らなければならないと強く感じています。日本人の計算能力を高めるための制度として、概数計算、少数・分数等を取り入れた新しい「計算能力検定制度」(仮称)の検討も進めているところです。当面は、現在の塾の指導対象である小学生を対象にした検定を意識していますが、将来的には、中・高校生から社会人一般までを対象としたものに拡充していくことも必要でしょう。
藤本 社会人の方から、自分はソロバンをやってこなかったけれども、やっぱり計算能力は大事だから、もう一回勉強したい、どうしたらいいですか、という問い合わせが結構あります。ビジネスマンになった人たちが、概数暗算みたいなものを必要とされている時代になっているのですね。
篠原 珠算を後世に残し、また子供たちの基礎教育の中で珠算が生かされるように、また国際的にも広がりが出てくるように、日本商工会議所といたしましても、新しい珠算教育の再構築に向けて、珠算界の皆様方と一緒になりながら、力を尽くしてまいる所存です。本日は、様々な角度から貴重なご意見をいただき有難うございました。
|